滝山城〜武田氏2万の軍勢を退けた北条氏照の平山城
続日本100名城No.123
2021年3月6日(土)☀️
10:00〜11:40
◯概要
「滝山城」は、大永元年 (西暦1521年)に武蔵・守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子になった小田原北条氏・四代氏政の弟 の氏照が拡張 。改修したとされてきました。しかし、近年の研究により、北条氏照は由丼領を支配していた大石綱周の養子になり、「浄福寺城 (由丼城)」 (八王子市下恩方町)に居住し、その後、永禄10年 (1567年)までに滝山城を築城して移転したと考えられてきています。滝山城が築かれた加住丘陵は東西に長く、北は多摩川に浸食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。こうした地形を利用した滝山城の特徴は、「二の丸の集中防御」です。「二の丸」は3つの尾根が集中していて、各々に「馬出 (出入口)」 を設け、「二の丸には敵を絶対入れさせない」という堅固な構えになって います。永禄12年 (1569年)10月2日に甲斐の武田信玄が上野から武蔵に侵入して滝山城を攻撃した際に、城下に火をつけて「二の丸」まで攻め込んだと伝えられています。しかし氏照が、当時同盟関係であった上杉謙信の重臣に出した手紙によると、城下に兵を出して戦ったとあります。 その後、氏照は甲斐を重視して八王子城の築城に取り掛かり、天正15年 (1587年)ころまでに、移って行ったと考えられています。(「リーフレット滝山城跡」より)
滝山観光駐車場(八王子市丹木町3丁目81番地1外)に車を停めました。駐車料金は無料です。
滝山観光駐車場横には西東京バス・滝山城址下バス停があります。
駐車場から徒歩1分程度で滝山城跡入口の看板があります。
天野坂です。竹林が広がり、マイナスイオンが感じられます^_^
天野坂から枡形虎口へ向かいます。堀がみられます。堀の上は小宮曲輪が広がります。
三の丸です。空堀の上方が三の丸となっています。
コの字形土橋です。側面攻撃ができるよう工夫されていました。
上段が千畳敷です。
千畳敷です。役場的な施設があったと思われます。
馬出です。
二の丸と堀です。
中の丸南側の防御として櫓門があったと推定されています。
中の丸です。
中の丸からの眺望です。眼下には多摩川が迫り、天然の要害として機能していました。
引橋(ひきはし)です。中の丸から本丸に続きます。深い大堀切にかけられていました。
引橋からみた大堀切です。
本丸への枡形虎口です。
本丸です。
本丸にある霞神社です。
史蹟滝山城跡の碑です。
沢井益三氏の句碑です。
行きどまりの曲輪(ふくろのねずみ)です。
二の丸の防御方法について記載されています。
二の丸です。
二の丸と空堀です。
小宮曲輪です。
アクセス
🚞京王八王子駅・JR八王子駅北口から戸吹行き・秋川駅行き・戸吹スポーツ公園入口行きバスで「滝山城址下」下車、徒歩約15分
🚗中央道 八王子ICから5分
滝山城跡
042-623-1615
https://goo.gl/maps/MSrVgVCphZvFhtGb7