本佐倉城〜千葉輔胤が築いた千葉氏最期の本拠地
〜日本続100名城 No.121〜
平成31年2月16日(土)☀️
15:00〜16:30
自宅から車で1時間程度の本佐倉城を家族4人で訪れました。
○概要
酒々井町本佐倉地区と佐倉市大佐倉地区にまたがる丘陵地に、中世戦国時代に繁栄した本佐倉城跡(地域約35ha)があります。
本佐倉城は文明年間(1469年から1486年)に、千葉輔胤によって築城されました。輔胤は、享徳3年(1454年)に始まる関東の動乱のなかで千葉宗家を継いだ人物で、千葉氏代々の居城であった「千葉城」が戦場になり荒廃したため、「本佐倉城」を築いて新たな千葉氏の居城としました。「本佐倉城」は、以後百有余年にわたる戦国時代を通じて下総の中心となり、千葉家の当主9代が城主として下総を治めていました。
大永年間(1521年)頃、最初の城の改修と城下の整備が終わり、城を中心に家臣や商人が集められ、武家屋敷や町屋・市の形成が進みました。
この頃千葉氏は下総の覇権をめぐって小弓公方や上杉氏・里見氏との合戦を繰り返していたため、小田原北条氏と婚姻を結び、手を組みましたが、しだいにその勢力は弱体化し、ついには親胤・邦胤の二人の当主が城中で家臣に暗殺されました。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原城攻めで北条氏に味方した千葉氏は滅亡し、本佐倉城は明け渡されました。その後、徳川家康の家臣が入城しましたが程なく廃城となり、その歴史を閉じました。(酒々井町ホームページより)
まずスタンプの設置してある酒々井市中央公民館に行きました。中央玄関を入り、ほぼ正面にスタンプが設置してありました。
本佐倉城跡は公民館から車で5分程度。駐車場も整備されています。
本佐倉城跡は主郭群(城主の空間)と外郭群(家臣の空間)が同心円上に配置され、主郭群は7つの郭(「城山」、「奥の山」、「倉跡」、「城ノ内」、「東山馬場」、「東光寺ビョウ」、 「セッテイ」)と付属する腰郭群から構成され、城の中核部分を形成しています。外郭群は、城域の南端に位置する「向根古谷」で構成されています。(酒々井町ホームページより)
千葉氏の家紋は月と星を図案化した「月星紋」。駐車場からⅣ郭に向かいます。
Ⅳ郭虎口です。本佐倉城跡はみどころに案内板が表示してあり、細かく解説されています。
大堀切です。右手が奥ノ山、左手が城山です。
まずは城山に向かいます。
城山通路です。この通路は城山に向かう唯一の通路です。
城山虎口です。左折れの坂虎口の形態をとります。
城山門跡です。
城山も各所にわかりやすく表示板がありました。
城山からの眺めです。
続いて奥ノ山に向かいます。
奥ノ山の妙見宮跡です。
倉跡です。
続いて東山虎口に向かいます。
東山虎口より京成線方面をのぞみます。
東山虎口と南奥虎口です。
東光寺ビョウです。
南奥虎口です。
倉跡一セッテイ空堀です。左手が倉跡、右手がセッテイです。
東山虎口を抜け、ビューポイントに上がりました。この日は曇っていましたが、晴れた日には筑波山が見えるようです。
帰りに近隣のJR南酒々井駅へ。この駅はもともとは製造した日本酒を運搬すべく酒蔵の飯沼本家がつくった駅とのことです。
本佐倉城は遺構もよく残されており、まるで探検のように家族4人で楽しむことができました。
アクセス
🚞 京成線 大佐倉駅より徒歩10分、酒々井駅より徒歩20分
🚗東関東自動車道 酒々井ICより10分
千葉方面から・・・酒々井の手前で旧51号線に入り、酒々井町役場入口の所を左折(成田方面からだと右折)し、道なりに谷津に向かって下ると正面に城跡の台地が見える。
296号線を佐倉から成田方面に向かい、スーパートライアルの手前で旧道に入り、清光寺入り口の所(案内標識あり)を左折(酒々井方面からだと右折)。
ж本佐倉城跡近辺の各所には案内標識が電柱等に取り付けてあります。
本佐倉城跡
〒285-0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781
https://goo.gl/maps/vWnfsVUYqR62