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飯高城(飯高寺・飯高檀林跡)〜名僧を輩出した日蓮宗最古、最大、最高の学問所

41.【飯高城】千葉県匝瑳市飯高

 

 

2021年4月3日(土)☀️
14:50〜16:10

 

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◯概要

 飯高寺(飯高檀林)は、匝瑳市の中心部から北方へ約8kmの舌状台地上に造られた、日蓮宗の学問所です。敷地は67,667平方メートルを有し、うっそうとした杉林が歴史の重みを感じさせてくれます。

天正元年(1573年)、要行院日統が匝瑳市飯塚の光福寺に学室を開いたことが檀林の前身とされています。後に京都から教蔵院日生を招いて、同7年(1579年)、土地の有力者平山刑部の後援を得て、学室を当地の妙福寺に移しました。これが飯高檀林の発祥で、僧侶の教育と宗学を研究し、極めることを目的として開設され、翌年には現在の土地に移っています。その後、全国に諸檀林ができはじめ、関東八大檀林、関西六大檀林へと発展します。

檀林とは「栴檀林」の略語で、僧侶の集まりを栴檀の林に例えた、つまり寺院の尊称であるとともに仏教の学問所を意味します。

このように学問所として開かれた飯高檀林も、明治5年の「学制」発布により同7年に廃檀となり、294年間の歴史を閉じることになりました。その後、いくつかの建物は、売却や取り壊されたものの廃檀当時のままの状態で、よく保存されています。
中でも、講堂・鐘楼・鼓楼・総門は、昭和55年に国の重要文化財に指定されています。国指定の4棟は、平成の2度の修理で当時の姿に復元されています。また、檀林跡として境内全体が県指定史跡(昭和50年指定)となっています。

(「匝瑳市ホームページ」より)

 

車は南駐車場に停車しました。総門から講堂までの王道コースにはこちらが便利です。

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南駐車場には飯高檀林跡観光案内所があり、パンフレットなどの資料をいただけます。
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南駐車場から総門方面に向かう階段です。
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飯高寺総門まであとわずかです。
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総門です。建立は延宝8年(1680年)新造。現在のものは、天明2年(1782年)新造です。
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飯高檀林跡の案内板です。千葉県指定史跡です。
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総門から講堂方面に向かいます。杉林が広がりマイナスイオンが感じられます。
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飯高檀林の森郷土環境保全区域の案内板です。
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空堀跡です。
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廟所(びょうしょ)です。
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一切経蔵(いっさいきょうぞう)です。寛文12年(1672年)新造。現在のものは天明2年(1782年)新造されました。経文・蔵書の収蔵庫として使用されていました。
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立正大学発祥の地の碑です。
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題目堂です。建立は18世紀頃と考えられています。
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祟石です。

【祟石とは】飯高寺境内の片隅に、「祟石(たたりいし)」と刻まれた縦五十五センチ、横四十センチ、厚さ二十センチほどの石がある。正保四年(1640)、飯高檀林(だんりん)で総門前(そうもんまえ)に石段をつくることになり、江戸から石を買い、小見川まで船で運んで来た。そのあと、陸路を檀林まで運ぶのであるが、途中の神生村(旧山田町)の藤右衛門という者が、そのうちの一つを盗んでしまった。ところが、藤右衛門の家に不幸が続き、「石を盗んだ祟りだ」ということになった。そこで、親類の勘衛門という人に頼み、飯高寺名主与右衛門を通して詫(わび)を入れ、ざんげの意を「祟石」と刻し、檀林へ戻したと言われている。(「匝瑳市ホームページ」より)


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講堂です。火災に遭い、慶安4年(1651年)13世寿量院日祐のとき再建されました。千葉県内で一番大きな重要文化財の建物です。この講堂のほか、鐘楼・鼓楼・総門は国の重要文化財に指定されています。
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鐘楼(しょうろう)です。寛文頃(1661年から1672年)再建。梵鐘は寛永16年(1639年)秋寄進。鋳造は、武州江戸神田鍛冶町2丁目鋳物師山田和泉掾吉貞によるものと刻まれています。
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鼓楼(ころう)です。享保5年(1720年)新造されました。講堂に学徒を呼集するため打ち鳴らされました。
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北駐車場です。黄門桜まではこちらが便利です。
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飯高寺裏参道です。
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飯高寺水門坂です。
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黄門桜です。すでに5日ほど前が満開だったようで、大半が散っていましたが、荘厳な桜の木でした。
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アクセス

🚞 JR八日市場駅からバスで12分6km 「飯高仲台」下車徒歩5分。

 

🚗 銚子連絡道 横芝光I.C.から車で18分12km

 

 

飯高城跡
https://goo.gl/maps/wZAe3nXrQeSC2CdC9