宇都宮城〜500年にわたる宇都宮氏の居城
48.【宇都宮城】栃木県宇都宮市本丸町、旭1丁目地内(宇都宮市役所東側)
関東七名城
2022年11月7日(月)☀️
15:40〜16:20
◯概要
宇都宮城を築いたのは、藤原秀郷とも藤原宗円とも言われており、時代は平安時代後期と考えられています。
鎌倉時代から戦国時代
中世(鎌倉時代から戦国時代)の城主であった宇都宮氏は、鎌倉幕府の有力な御家人であるとともに、京都ともつながりが深く、5代頼綱(よりつな)(蓮生・れんしょう)は百人一首の成立にも深くかかわっていました。
日本中が戦乱に巻き込まれた南北朝時代から戦国時代、このころの宇都宮城は敵の攻撃に備えるため、堀と土塁を幾重にもめぐらせた守りの堅い城になっていきました。
宇都宮城をめぐっての戦いも行なわれ、城下町が焼かれたこともありました。
江戸時代
約500年間宇都宮を支配してきた宇都宮氏は、豊臣秀吉に滅ぼされ、近世(江戸時代)には譜代大名の居城となりました。その中でも本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、今日の宇都宮の中心市街地の骨格を作り上げたと言われています。
将軍が日光にお参りする日光社参(にっこうしゃさん)。宇都宮城は将軍の宿泊場所となり、本丸には将軍のための御成御殿(おなりごてん)が建てられました。日光社参は幕府の威信をかけた大事業であり、城も城下町も大変なにぎわいだったと言われています。
戊辰戦争以降
宇都宮城は1868年の戊辰(ぼしん)戦争で建物の大半が焼失しました。堀も次第に埋められて、当時の面影をしのぶものはほとんどなくなりました。
(「宇都宮市ホームページ」より)
徒歩20分弱で宇都宮城址公園に到着しました。
堀跡です。本丸の堀は17世紀初めに掘られたものと考えられています。
清水門です。
清明台です。
富士見櫓です。
紅葉が素晴らしく🍁
夕暮れ時で映えてます。
夕飯はみんみんで餃子^_^焼きと水で😊
宇都宮駅前に餃子の像がよく映えます。
アクセス
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JR宇都宮駅西口バスターミナル38番のりば
関東バス「市内循環線(きぶな)」で「宇都宮市役所」または「宇都宮城址公園入口」下車
所要15分、片道170円、20分から30分毎運行
路線バス各社、「馬場町」バス停下車、徒歩10分
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