祇園城〜関東の名族小山氏の居城
2022年11月8日(火)☀️
8:50〜9:10
◯概要
中世小山氏 祗園城を居城としていた時代
ときは10世紀。関東では下総の武将、平将門が朝廷に対して反乱をおこします。天慶3(940)年に将門を討ったのが、下野国の武将・藤原秀郷です。
久安6(1150)年に藤原秀郷から7代の子孫にあたる政光は、下野国都賀郡小山郷を本拠として小山氏を名乗り、関東の雄、小山氏の歴史が始まります。この小山政光が居城としたのが、祇園城(現在の城山公園)です。
祗園城という名前の由来
小山氏が、現在の城山公園の場所に城を築いたとき、城守りの神として祇園社(現在の須賀神社)をまつったことから、祇園城と呼ばれるようになったと伝えられています。
祗園城の陥落から北条氏の没落まで
天正3(1575)年に強大な武力によって北条氏は着実に勢力を拡大し、ついに北条氏は小山氏領に侵攻します。1度は退けるも、翌年、居城の祇園城は陥落します。
秀綱は佐竹義重を頼り逃亡し、ここに400年続いた関東の名門、小山氏は滅亡します。その後、北条氏は北条氏照を祇園城代に任じ、秀綱もその一配下となることで小山復帰が認められます。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏の没落。
小山氏の旧領は結城晴朝に与えられます。秀綱は晴朝に従うことになり、秀綱は小山氏の再興を運動したものの果たせず。小山氏の家督は秀綱の後は孫の小山秀恒が継ぎ、後に秀恒の子の小山秀堅が寛文年間に水戸藩士として取り立てられ存続し、現在に至っています。
宇都宮城へ移封・廃城へ
元和二(1616)年には本多正純が祗園城主となりますが、元和五(1619)年に宇都宮城へと移封となり、祗園城は廃城となりました。
(「ニシグチオヤマ」webマガジンより)
JR小山駅西口より徒歩で向かいます。
祇園城通りを歩いていくと10分程度で左手に小山御殿広場が見えてきます。小山市役所横に位置します。
小山御殿広場の向かい、思川沿いには城山公園(祇園城跡)があります。現在整備工事中です。
散策をしながら、天然温泉思川温泉へ♨️
ランチは小山駅ビル内の藤ヱ門で肉汁うどんを堪能^_^
小山駅より帰路へ。
アクセス
🚞JR小山駅西口から徒歩10分
🚗 東北自動車道佐野藤岡ICより30分
祇園城址
https://maps.app.goo.gl/VuuQnHtGjfTPktQu8?g_st=ic
小山思川温泉
https://maps.app.goo.gl/GkAN2kVjRj3B6LmXA?g_st=ic
手打ちうどん藤ヱ門 小山駅ビル店
https://maps.app.goo.gl/XBaVo5qac13dpg1N6?g_st=ic
宇都宮城〜500年にわたる宇都宮氏の居城
48.【宇都宮城】栃木県宇都宮市本丸町、旭1丁目地内(宇都宮市役所東側)
関東七名城
2022年11月7日(月)☀️
15:40〜16:20
◯概要
宇都宮城を築いたのは、藤原秀郷とも藤原宗円とも言われており、時代は平安時代後期と考えられています。
鎌倉時代から戦国時代
中世(鎌倉時代から戦国時代)の城主であった宇都宮氏は、鎌倉幕府の有力な御家人であるとともに、京都ともつながりが深く、5代頼綱(よりつな)(蓮生・れんしょう)は百人一首の成立にも深くかかわっていました。
日本中が戦乱に巻き込まれた南北朝時代から戦国時代、このころの宇都宮城は敵の攻撃に備えるため、堀と土塁を幾重にもめぐらせた守りの堅い城になっていきました。
宇都宮城をめぐっての戦いも行なわれ、城下町が焼かれたこともありました。
江戸時代
約500年間宇都宮を支配してきた宇都宮氏は、豊臣秀吉に滅ぼされ、近世(江戸時代)には譜代大名の居城となりました。その中でも本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、今日の宇都宮の中心市街地の骨格を作り上げたと言われています。
将軍が日光にお参りする日光社参(にっこうしゃさん)。宇都宮城は将軍の宿泊場所となり、本丸には将軍のための御成御殿(おなりごてん)が建てられました。日光社参は幕府の威信をかけた大事業であり、城も城下町も大変なにぎわいだったと言われています。
戊辰戦争以降
宇都宮城は1868年の戊辰(ぼしん)戦争で建物の大半が焼失しました。堀も次第に埋められて、当時の面影をしのぶものはほとんどなくなりました。
(「宇都宮市ホームページ」より)
徒歩20分弱で宇都宮城址公園に到着しました。
堀跡です。本丸の堀は17世紀初めに掘られたものと考えられています。
清水門です。
清明台です。
富士見櫓です。
紅葉が素晴らしく🍁
夕暮れ時で映えてます。
夕飯はみんみんで餃子^_^焼きと水で😊
宇都宮駅前に餃子の像がよく映えます。
アクセス
🚞
JR宇都宮駅西口バスターミナル38番のりば
関東バス「市内循環線(きぶな)」で「宇都宮市役所」または「宇都宮城址公園入口」下車
所要15分、片道170円、20分から30分毎運行
路線バス各社、「馬場町」バス停下車、徒歩10分
🚗
栃木城〜皆川城にかわる皆川広照の居城
47.【栃木城】栃木県栃木市城内町1丁目
2022年11月7日(月)☀️
13:20〜13:50
◯概要
栃木城は、天正19年(1591)皆川広照の居城だった皆川城にかわって築かれたとされ、本丸、東二の丸、蔵屋敷、東三の丸、南三の丸からなる城郭で、城の鬼門に東宮神社が祀られている。城の南は円通寺、西は杢冷川(もくれいかわ)を隔て町に接している。
のちの栃木宿を城下として近隣の郷村から諸社寺を現在地に移し計画的な町づくりを行ったが、城は慶長14年(1609)に築城からわずか19年後の破却となった。
現在は、堀の跡や土塁の一部が残るだけとなっている。
この城址の一部は昭和47年(1972)に市指定文化財(史跡)となっている。
栃木駅から徒歩で向かいます。栃木城址公園までは徒歩20分程度です。
城址公園近くに案内板が…あと少しのようです💦
道がクランクしており、城下町であったことが感じられます。
栃木城址公園に到着。
史跡栃木城址の案内板です。
土塁がみられます。
周辺の住宅には武家屋敷の名残がみられます。堀と相まって歴史を感じます。
しばらく栃木駅近辺を散策。蔵の街を堪能しました。
栃木のお伊勢さま 神明宮です。
アクセス
🚞
🚗
東北自動車道・栃木ICから15分
足利氏館(鑁阿寺)〜足利義兼が建立した足利氏の氏寺
〜日本100名城 No.15〜
2022年11月7日(月)☀️
11:40〜12:10
◯概要
鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。
約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、大正10年3月に、国の史跡に指定されており、現在では「日本の名城百選」にもなっている。
寺院としては、鎌倉時代初期、1196年(建久7年)源姓足利氏2代目の足利義兼(よしかね)が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、1229年に落雷により、焼失したが、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。日本としては禅宗様式への転換期の最初期にあたる。
鎌倉時代から室町時代にかけて寺院として次第に整備され、室町将軍家、鎌倉公方家などにより、足利氏の氏寺として手厚く庇護された。
境内には、本堂のほかにも、鐘楼(しょうろう)、一切経堂(きょうどう)が国の重要文化財、東門、西門、楼門(ろうもん)、多宝塔(たほうとう)、御霊屋(おたまや)、太鼓橋(たいこばし)が栃木県指定の建造物で、その他、市指定の建造物も多数あり、その他建造物以外にも、彫刻や文書、美術工芸品など、中世来の貴重な宝物類も多数残され、今に伝わっている。
また市民の方々には古くより「大日様」と呼ばれている。
(「鑁阿寺ホームページ」より)
渡良瀬川を渡ります。
鑁阿寺に到着です。
史蹟足利氏宅址の碑があります。
楼門です。反橋を渡って寺内に入ります。
鑁阿寺本堂(国宝)です。
中御堂(不動堂)です。
経堂(国指定重文)です。
蛭子堂です。
校倉です。
大酉堂です。
御霊屋です。
西門です。
多宝塔(塔婆)です。
東門です。
鐘楼です。建久7年(1196年)に足利義兼が建立しました。国の重要文化財です。
紅葉も色鮮やかです。
足利学校跡です。日本で最も古い学校です。
JR足利駅より栃木城へ向かいます。
アクセス
🚞
【東武・伊勢崎線】 東武足利市駅 北口を出て、中橋を北へ約5~10分。
【JR・両毛線】JR足利駅北口を出て県道67号線を西に。2丁目の信号を北に。
🚗
北関東自動車道 足利ICから10分m。国道293号を市役所方向に進む。
※境内 駐車場50台(無料) ※太平記館 観光駐車場(無料)
金沢城〜加賀百万石前田家の居城
2022年10月16日(日)☀️
12:20〜14:20
◯概要
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出されました。
内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたものです。
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。
(「石川県ホームページ」より)
尾山神社方面から登城。鼠多門と鼠多門橋に向かいます。
玉泉院丸庭園です。綺麗に手入れされ、気持ちのいい空間でした。
石垣が見事です。
二ノ丸と本丸附段にかかる極楽橋です。
五十間長屋です。
鉄門(くろがねもん)石垣です。
橋爪門続櫓です。青空によく映えます。
雁木坂です。
橋爪門です。
南門跡です。
辰巳用水関連施設群です。
石川門です。
夜もライトアップが見事でした^_^
アクセス
🚞 金沢駅より兼六園下下車 金沢城公園(石川門口)・兼六園(桂坂口)
金沢駅より広坂下車 金沢城公園(玉泉院丸口)・兼六園(真弓坂口)
金沢駅より出羽町下車 兼六園(小立野口)
🚗 北陸自動車道 金沢西ICから約30分
北陸自動車道 金沢東ICから約30分
北陸自動車道 金沢森本ICから約20分
府中駅(東京都・京王線)
訪問日 2023年5月22日(月)☀️
府中市役所前の青葉にて特製中華そば^_^
府中駅
https://maps.app.goo.gl/gyPVXhqLN4Ks8afC9?g_st=ic
大国魂神社参道
https://maps.app.goo.gl/46EM1L2FNNcfhvL48?g_st=ic
中華そば 中野青葉 府中店
https://maps.app.goo.gl/cxVyEUXkjC77NBGG7?g_st=ic
東京メトロスタンプラリー⑪ 144駅/144駅(江戸城外堀跡・泉ガーデンタワーほか)
東京メトロ全駅スタンプラリー(2022年4月25日(月)〜2025年2月28日(金) )とともに、各駅の名所やグルメを巡っています。のんびりゆっくりやっています^_^
2023年4月25日(火)☀️
スタンプ設置場所 (改札内)
2023年4月28日(金)☀️
つけ麺屋ひまわりで、特製つけ麺^_^
つけ麺屋ひまわりhttps://maps.app.goo.gl/wPDSAPTZLZq7ewNx7?g_st=ic
2023年5月12日(金)☀️
スタンプ設置場所 音羽方面改札(改札外)
2023年5月13日(土)☂️
スタンプ設置場所 ※落合駅1番出口付近(改札外)
スタンプ設置場所 1番出口付近(改札外)
スタンプ設置場所
①早稲田大学方面改札付近(改札外)
②早稲田大学穴八幡方面改札付近(改札外)
スタンプ設置場所 6番出口方面付近(改札外)
スタンプ設置場所 6・7番出口方面(改札外)
スタンプ設置場所 舟和方面改札 駅事務室付近(改札外)
スタンプ設置場所 1番出口(新宿口)方面(改札内)
スタンプ設置場所 2番出口方面(改札外)
スタンプ設置場所 早大理工方面改札(改札外・早大西早稲田キャンパス)
スタンプ設置場所 駅事務室付近(改札外)
2023年5月26日(金)☁️
139.虎ノ門駅(銀座線)
スタンプ設置場所 改札外
2023年6月19日(月)☀️
140.田原町駅(銀座線)
スタンプ設置場所 西浅草一丁目側地上ゆきエレベーター専用改札付近(改札外)
141.稲荷町駅(銀座線)
スタンプ設置場所 1番出口付近(改札外)
2023年7月17日(月)☀️
スタンプ設置場所 日吉坂方面改札付近(改札外)
143.目黒駅(南北線)
スタンプ設置場所 白金台駅日吉坂方面改札付近(改札外)
スタンプ設置場所 3番出口方面付近(改札外)
泉ガーデンタワーは駅直結です。